原城 (原城跡)… 「島原・天草一揆」の最後の砦

2022年9月11日

原城跡

「原城(原城跡)」は、島原半島の南部、天草諸島を臨む丘陵にあります。天草四郎(益田時貞)を首領とした「島原・天草一揆」、その激戦の舞台となったのが「原城」でした。今も残る「本丸跡」や「石垣」などから、当時のようすをうかがい知ることができます。

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「原城」の概要と歴史

長崎県南島原市南有馬町にある「原城」は、有明海に突き出す丘陵にあります。そして、そこに残る遺構が、原城の歴史を伝えてくれます。

「原城」の概要

まず、原城は「春城」「志自岐原城」「日暮城」「有馬城」とも呼ばれ、戦国大名の有馬氏により「日野江城」の支城として築かれました。また、2018年に世界遺産に登録された『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』を構成する一部となっています。

原城のつくり

本丸の南と東は海に囲まれており、北に二の丸、三の丸、西に天草丸がありました。さらに、本丸大手門手前には空堀、門を入ると櫓や武者溜まりなどがあり、防備が充実した堅固な城でした。

原城跡紹介リーフレット(その1) … 広域図
原城跡紹介リーフレット(その2) … 本丸図

次の写真は、右手にある「大手門」に続く石垣です。さらに、北側の石垣は破却されている部分が多くなっています。

原城 原城跡
「 大手門に続く石垣 」

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「原城」の歴史

原城の歴史は、有馬氏の歴史とともにありました。有馬氏の歴史やキリスト教との関わりなくして原城の歴史は語れません。なお、有馬氏の家系図は、次の通りです。

築城から有馬氏の台頭

1496年、原城は日野江城(長崎県南島原市北有馬町)の支城として有馬貴純(たかずみ)によって築かれました。そして、有馬貴純は、戦国時代初期に高来郡から藤津郡、杵島郡までの 現在の島原半島から佐賀県南部一帯を支配下とします。

貴純の孫である有馬晴純(はるずみ)が当主となった16世紀中頃は、激しく群雄が割拠する時代でした。激しく領地争いをする一方、ポルトガル船が領地内に入港するようになると、「南蛮貿易」で利益を生みます。ただ、晴純はキリスト教を嫌い、激しく弾圧しました。

キリスト教の拡大

晴純の子の有馬義貞(よしさだ)は、南蛮貿易で利益を生みながらもキリスト教には距離をとりつつ、ポルトガルとの関係を構築します。しかし、大友宗麟や龍造寺隆信らの台頭により勢力を狭めることとなり、晩年にはキリスト教の洗礼を受けました。

そして、義貞の孫の有馬晴信(はるのぶ)は若くして家督を継ぐと、1584年に島津義久と結び「沖田畷(おきたなわて)の戦い」で龍造寺隆信を滅ぼします。また、晴信は少年時代にキリスト教の洗礼を受けており、熱心なキリシタンとなっていました。

有馬氏の衰退から廃城へ

「日野江城」を中心に島原の地を守り続けてきた有馬氏ですが、晴信の朱印船がマカオで襲われた事件をきっかけに危機が訪れます。徳川家康に報復を許可された晴信でしたが、ここで起きたのが監視役として派遣された岡本大八の虚偽に振り回される「岡本大八事件」でした。その結果、晴信は切腹を命じられ、46年の生涯を終えます。

晴信は改易の上で死罪となりましたが、子の有馬直純(なおずみ)は 徳川家康に仕えていたこともあり、1612年に日野江藩主として父のあとを継ぐことになりました。その後、直純は1614年に日向に転封、1616年に藩主に松倉重政を迎えます。

重政は、1618年の一国一城令から日野江城と原城を廃し「島原城」を築城しました。しかし、この島原城は不相応な規模であったため、領民に大変な負担を強いるものとなります。そして、これが「島原・天草一揆」につながっていくのです。

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原城と「島原・天草一揆」

ほかに「島原の乱」「島原・天草の乱」とも呼ばれる国内最大規模の一揆です。

「島原・天草一揆」の要因

「島原城」築城の弊害

松倉重政が入封すると、「一国一城令」もあり便の悪い日野江城と原城を廃して「島原城」の築城に着手します。領民は日野江城や原城から石材の運搬に苦しむ一方、重政は領民の負担をかえりみず肥前4万3千石でありながら10万石クラスの城を築きます。

さらに、江戸城改築の公儀普請役を請け負い、ルソン島遠征のために先発隊を送るなど、実情に見合わない出費を重ねることで、領民の負担は限界を超えていきました。

キリスト教弾圧

当初の重政は、南蛮貿易で利益を得ていたこともあり、キリスト教を取り締まることはありませんでした。しかし、有馬晴信などのキリシタン大名が長く治めた地にあって、1621年に幕府の「キリシタン弾圧政策」に従って弾圧を始めることとなります。

1625年、徳川家光からキリシタン弾圧の甘さを指摘されると、キリシタンや年貢を納められない農民などに対して残忍な拷問や処刑を行うようになりました。

一揆へ

藩主の松倉重政が急逝、1630年に子の松倉勝家があとを継ぐと、父以上の収奪を行います。さらに、干ばつや凶作でも容赦せず、人頭税や住宅税などあらゆる税を領民から搾り取りました。

一揆のおこり

武士から農民となって地域の中心となっていた旧有馬氏家臣は、密かに反乱を企てます。また、同じく肥後天草でも反乱が計画されており、両者の会談により天草四郎を総大将として立ち上がることになりました。

原城 天草四郎像
原城本丸跡の「 天草四郎像 」

一揆の広がりと討伐軍

1637年12月にキリシタンが代官を殺害したことから、一揆が始まります。島原では一揆軍の勢力が拡大、討伐軍が一旦引き上げて島原城に篭もるほどになります。さらに、海の向こうの天草においても一揆軍が立ち上がり、「本渡(ほんど)城(熊本県天草市)」や「富岡城(熊本県天草郡苓北町)」を攻撃し、富岡城代の三宅重利を討ち取るなど勢いは大きくなっていました。

しかし、九州の諸藩の討伐軍が近づいているとの情報から、天草の一揆軍は海を渡って原城で島原の一揆軍と合流します。その数は3万7千人とも言われています。

原城篭城

一揆軍は廃城となっていた原城跡を修復、武器や食料を運び込み討伐軍の攻撃に備えました。また、島原の一揆軍は、労役として島原城の築城を経験した者が多く、このときの経験が原城跡修復に生かされた可能性も指摘されています。

1月末に、幕府は板倉重昌と石谷(いしがや)貞清を送り込みますが、九州諸藩を従えるには荷が重く、また、討伐軍が寄せ集めであったこともあり、原城の固い守りを破ることはできませんでした。次に、2月中旬には松平信綱を中心とした討伐軍を送るものの、功を焦った板倉重昌が突撃して戦死します。

この知らせを聞いた幕府は援軍を増やし、2月下旬には12万にも膨れ上がりました。ただし、幕府軍は甲賀忍者の潜入により一揆軍の兵糧が少ないことを知ると、兵糧攻めに切り替えます。

そして、4月中旬、ついに食料の尽きた一揆軍に 幕府軍が総攻撃をかけて、4ヶ月に渡る反乱が終わりました。

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一揆のあと

戦後処理

一揆軍に参加した島原の領民や天草のキリシタンらは、幕府の厳しい処遇により根絶やしにされます。そして、生き残ったわずかなキリシタンは「隠れキリシタン」となっていきました。また、島原藩主の松倉勝家は、重税を課したことが一揆のきっかけになったとのことで改易、のちに斬首となります。

原城本丸跡には、天草四郎の墓があり、その背後に「三体の像」が見られます。それぞれ誰の像なのかはわかりませんが、十字架を持っている像があることから、一揆軍の中心人物であると考えられます。有明海を臨み何を想うのでしょうか。

原城 三体の像
「 三体の像 」

「島原・天草一揆」の影響

こののち、幕府は「禁教策」を強化することになり、1639年に「ポルトガル船の来航禁止」、1641年には「オランダ商館」を平戸から出島へ移すなどキリスト教への警戒を強めていきました。また、反乱軍が廃城を利用したことで、廃城を取り壊す動きも見られるようになります。

「 原城 」の案内

入城案内

城跡には自由に入れるようになっています。

アクセス

〒859-2412 長崎県南島原市南有馬町

公共交通機関で

島原鉄道 / 島原駅 〜( 島鉄バス 約60分 )〜 原城前下車 徒歩12分

口之津港 〜( 島鉄バス16分 )〜 原城前下車 徒歩12分

車で

長崎自動車道 / 諫早ICから 約75分( 約52km )

島原港から 約38分( 約25km )
口之津港から 約16分( 約9km )

*本丸跡付近の「 空堀跡 」北側に駐車できるスペースがあります。

地図

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