三十三間堂 … 南北120mのお堂に 千体千手観音立像

2024年2月4日

三十三間堂

正式名称を「蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)」という「三十三間堂」は、後白河上皇により創建されました。多数の国宝が安置されており、中でも「千手観音立像」が千体並ぶようすは圧巻です。また、120mにおよぶ本堂軒下で行われた「通し矢」は有名で、これにちなんだ行事が現在も行われています。

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Contents

「三十三間堂」の成り立ちと歴史

「三十三間堂」の成り立ち

まず、「三十三間堂」の成り立ちについて、1165年に後白河上皇の離宮である「法住寺殿(ほうじゅうじでん)」の中に建てられました。

この「法住寺殿」とは、平安中期に藤原為光が建立した「法住寺」を中心とした地域にあり、後白河天皇が譲位して上皇となる際に建てられた「院御所」のことです。1161年に完成すると、後白河上皇はこの地で「院政」を行いました。

後白河上皇と平清盛

「保元(ほうげん)の乱」「平治(へいじ)の乱」で武士の力を見せつけたことにより、武家の棟梁としての平清盛の勢いは大きくなります。そんな時に、平清盛の多大な協力のもとで 三十三間堂が造営されました。

清盛は、本堂の造営だけでなく、1001体の「千手観音像」の安置、さらには古今東西の宝物を宝蔵に収めます。その後、清盛が「太政大臣(だいじょうだいじん/だじょうだいじん)」になるなど一族が高位高官につき、平氏の全盛期を迎えることとなりました。

頭痛山平癒寺

また、頭痛に悩まされていた後白河上皇には、熊野参詣の流れから頭痛が治ったという伝説があり、「頭痛封じの寺」として知られるようになると「頭痛山平癒寺」と呼ばれることもあったとされています。

現在の「楊枝のお加持(やなぎのおかじ)」という行事は、諸病を除くというもので 頭痛にとくに効果があるというものです。

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「三十三間堂」の歴史

桃山時代には、豊臣秀吉が「方広寺」に大仏を造立することになり、隣接する三十三間堂も含めて「築地塀」で取り囲まれます。さらに、「西大門」や「南大門」を建立したほか、内部の整備や修復も行いました。なお、豊臣家滅亡後は、「妙心寺」の管理下に置かれることとなります。

通し矢

「通し矢」とは、お堂西側の南端から 120mの距離を矢で射通すというもので、桃山時代にはすでに行われていたとされています。そして、江戸時代には、一昼夜に射通した数を競う行事が京の名物になりました。なお、その最高記録は、射た数13,053本、射通した数8,133本ということです。

なお、現在は60mの的を狙う「三十三間堂大的大会」が行われており、正月に振袖や袴で的を射る新成人の姿は京都の風物詩となっています。

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「三十三間堂」の境内や文化財

つぎに、特徴のある「本堂」や千体もの仏像が安置される「千手観音立像」など、見どころをチェックしていきましょう。

本堂

歴史

もともとは、当時権勢を誇っていた平清盛によって建てられたものでした。なお、現在のお堂は、1249年に火災で焼失したあと、1266年に再建されたものです。

構造など

高さ16m、東西22m、南北120mにもおよぶお堂です。また、屋根は上部が2方向へ傾斜し下部は 4方向に傾斜する入母屋造りで本瓦葺となっています。

桁行(南北の柱の間)が三十三間あることから、三十三間堂と呼ばれています。この三十三間というのは、観音菩薩の変化身三十三身によるものであり、約1.8mのことを指す単位の「間」のことではありません。

三十三間堂 本堂
「 本堂 」

文化財

千手観音坐像 / 国宝

まず、お堂中央の「中尊(ちゅうぞん) 」と呼ばれる「千手観音坐像」、十一面で四十二手で千手を表す像形です。そして、像の高さは約335cm、檜材の寄木造りとなっており、漆を塗った上に金箔を押した「漆箔(しっぱく)」が施されています。運慶の長男である湛慶(たんけい)が 82歳のときに造りました。

千手観音立像 / 国宝

そして、見るものを圧倒する1000体の「千手観音立像」、「中尊」を中央に前後10列の階段上に左右に500体ずつ並びます。さらに、実際は「中尊」の真後ろの1体を含めると1001体となります。なお、「中尊」同様、十一面に四十二手という像形で、高さは約166-167cmです。

このうち124体は創建当時の平安時代のもので、その他は鎌倉時代に入ってからの再建時に造られたものとされています。

風神・雷神像 / 国宝

お堂の中の両端に雲座に乗っているのが、自然現象を神格化した神と言われる「風神・雷神像」です。また、風袋を背負っている風神は、「ヴァーユ」と呼ばれ悪神を追い払い富貴栄達を授ける神とされています。そして、連鼓を背負って桴(ばち)を持つ雷神は、「ヴァルナ」という水神ということです。

また、日本の「風神・雷神像」の彫像としては最も古く、後世の二神のイメージのもととなっている像でもあります。

二十八部衆像 / 国宝

さらに、千体の「千手観音立像」の前には、仏教とその信者を守るとされる28体の「二十八部衆像」が安置されています。なお、代表的な像は次の通りです。

「大弁功徳天像(だいべんくどくてんぞう)」 …吉祥天とも呼ばれる施福の女神
「毘楼博叉像(びるばくしゃぞう)」 …広目天と呼ばれ西方を守護する四天王
「帝釈天像(たいしゃくてんぞう)」 …インドラ神に由来する英雄の神

その他

南大門、太閤塀 / 重要文化財

桃山時代になると、三十三間堂の北隣に豊臣秀吉が方広寺に「大仏殿」を造営した際、三十三間堂の敷地も含めて囲うように「土塀」を築きました。そして、その遺構にあたるのが「南大門」と「太閤塀」です。なお、「南大門」は、境内南東の敷地外となる一般道にあります。

梁塵秘抄の碑

後白河法皇が編者である『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』の一節が閃緑岩に刻まれています。その一節とは次のとおりです。

「観音誓ひし広ければ 普き門より出でたまひ 三十三身に現じてぞ 十九の品にぞ法は説く」

『梁塵秘抄』
三十三間堂 梁塵秘抄の碑
「 梁塵秘抄の碑 」

三十三間堂 の案内

それでは、三十三間堂の拝観案内やアクセスについて見ていきましょう。

三十三間堂のホームページはこちら →「 蓮華王院三十三間堂

拝観案内

拝観時間

8:30 – 17:00(4月1日 – 11月15日)
9:00 – 16:00(11月16日 – 3月31日)

*なお、入場は30分前まで、年中無休。

拝観料

一般600円、高校生中学生400円、子供300円

アクセス

〒605-0941 京都市東山区三十三間堂廻町657

公共交通機関で

京阪本線 / 七条駅から 徒歩約7分
JR 地下鉄 近鉄 / 京都駅から 徒歩約20分

京都市バス / 博物館三十三間堂前からすぐ

車で

阪神高速道路 / 鴨川西ICから 約8分(約2.8km)
名神高速道路 / 京都東ICから 約12分(約7.5km)
名神高速道路 / 京都南ICから 約15分(約6.3km)

*無料駐車場50台、「三十三間堂前」交差点を南へ20-30mの付近です。なお、敷地の北西は出口専用なので入れません。

地図

新版 古寺巡礼京都〈18〉妙法院・三十三間堂

関連リンク

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霊山歴史館 … 京都東山の幕末維新ミュージアム(北東方面約2km)
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豊国神社 … 秀吉公を祀る 豪華壮麗な神社の破却と復興(北へ徒歩約5分)
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