松下村塾 … 吉田松陰のもと維新の偉人が学んだ私塾
「松下村塾」は、長州藩の「藩校明倫館」の師範であった吉田松陰 が教えた私塾です。そして、その門下生には、高杉晋作や久坂玄瑞のほか、伊藤博文や山縣有朋らのちに総理大臣になるような錚々たる人物が含まれています。また、現存する松下村塾の建物は、2015年に「世界文化遺産」に登録されました。
Contents
「松下村塾」について
今なお多くの人が吉田松陰に学びます。というのは、吉田松陰の資質や能力によるものでもあり、「自らの手で実行する」「納得するまで話し合う」という吉田松陰の姿勢から貴重な言葉が生まれてきたからかもしれません。
「松下村塾」とは
「藩校明倫館(めいりんかん)」は武士の身分の者しか入学できませんでした。しかし、私塾である「松下村塾」は身分に関わらず武士も町民も受け入れていました。それでは、そのほかの特徴や世界遺産について、見ていきましょう。
講義と議論
吉田松陰の指導は、古典の『孟子』などを教材にして講義をするというのが基本です。しかし、最大の特徴は「今 日本で世界で起こっていることを意識しながら議論をすること 」にありました。
吉田松陰は講義をしながらも、ときおり生徒に考えを発表させるなど「自分で考える」ことを促し、議論をすすめていきます。つまり、自分で考えること、解決方法を模索すること、問題を提起することなど「学んだことをどう生かすか」を徹底した授業でした。
こうやって、わずか3年の間に維新を先導し時代を切り拓く門弟が数多く育ったのです。そして、このことは世の中に学びを生かすために自分自身の頭で考え続けてきた成果なのかもしれません。
世界遺産
松下村塾は、2015年に世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」を構成する一部として登録されています。なお、これは幕末から明治に急速に発展を遂げた炭鉱や鉄鋼業、造船業などについての文化遺産です。
さらに、松下村塾は、吉田松陰のもとで学んだ高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋らが幕末から明治期にかけて日本の近代化、産業化に貢献した人物を生んだということで、その対象となりました。萩地域では 「萩反射炉」「恵美須ヶ鼻造船所跡」「大板山たたら製鉄遺跡」「萩城下町」とともに構成資産となっています。
歴史と吉田松陰
開塾
1842年、吉田松陰の叔父の玉木文之進が自宅の八畳一間に「松下村塾」を開きます。そして、非常に厳格な文之進の指導もとで少年時代の松陰も学びますが、文之進が官職に就くと多忙なあまりに閉塾となりました。
その後、吉田松陰の親戚の久保五郎左衛門が開いた塾が「松下村塾」の名前を引き継ぎます。そこでは、「松蔭門下の三秀」のひとり吉田稔麿(よしだとしまろ)や伊藤俊輔(のちに初代総理大臣となる伊藤博文)らも学びました。
若き日の吉田松陰
松蔭は9歳で明倫館の兵学師範に就くと、11歳で藩主の毛利慶親に認められる存在となります。さらに、山鹿流と長沼流の兵法を学びますが、のちに江戸で佐久間象山に師事するなど 遊学の時期を過ごしました。
1953年、ペリーが来航すると大きな刺激を受け、ペリーが「日米和親条約」締結のために再来日した際に漁船で漕ぎつけてペリーのポータハン号に乗船するという行動に出ます。そのため、松蔭は捕らえられて長州へ送られると野山獄に幽囚されることになりました。
吉田松陰の「松下村塾」へ
野山獄の獄中でも『論語』や『孟子』などの講義をしていた松蔭は、出獄が許され 杉家で幽囚の身となっても講義を続けます。そして、その流れから、1857年に杉家の隣の小屋で吉田松陰による「松下村塾」が始まることとなりました。
そこでは、儒学や兵学にとどまらず、史学や文学、さらには登山や水泳も行ったと言われていますが、前述の「議論」と「生きた授業」で数々の志士が育っていきます。
閉塾へ
1958年に 幕府が無勅許で「日米修好通商条約」を結ぶと、松蔭は抗議の姿勢を見せたことで再び野山獄で幽囚されることになりました。翌年、江戸に送られて 30年の人生を終えることになります。
そののち、塾生の一人があとを継いだり、玉木文之進が退官後に再開させたりして継続していました。しかし、松蔭の実兄である杉民治が引き継ぐも私立高校の校長となると、「松下村塾」は閉塾となり、再び開かれることはありませんでした。
「松下村塾」の塾生
松蔭が松下村塾を引き継いだときには、約50人の塾生が在籍していたと言われています。中でも「識の高杉、才の久坂」の二人は松下村塾の双璧と言われ、吉田稔麿を加えて「松蔭門下の三秀」と称されることもありました。さらに、入江九一を加えると「松下村塾の四天王」とも言われます。
久坂玄瑞
尊王攘夷派の中心人物であり、全国の志士のまとめ役でもありました。若くして藩医となり、のちに松蔭との手紙で激しい議論を交わした末に入門します。一方で、松蔭は玄瑞を長州随一の俊才と考えており、のちに妹の文を嫁がせました。
高杉晋作
「奇兵隊」などを創設し、長州藩が倒幕へと動く道筋をつけました。「藩校明倫館」に入学、柳生新陰流を学んで免許皆伝となり、松下村塾の門下生となります。松蔭にも玄瑞にも最高級の評価を受けていた高杉晋作ですが、1867年に肺結核により29歳という若さでこの世を去りました。
吉田稔麿
松蔭が主宰となる前から松下村塾に通っており、その秀才ぶりは松蔭や他の門下生が認めるところでした。しかし、1864年、23歳で「池田屋」(池田屋事件:長州藩土佐藩などの尊王攘夷派の志士を新選組が襲撃した)にて最期の時を迎えます。
伊藤博文
松蔭に学び、尊皇攘夷や倒幕運動に参加、維新後は藩閥政権の中で存在感を見せるようになりました。その後、「大日本帝国憲法」起草の中心となり、初代総理大臣も務めました。
山縣有朋
長州藩の下級武士として生まれ、松下村塾に入門します。そして、のちに「奇兵隊」の中心人物となり、陸軍や内務省のトップを経験し、内閣総理大臣にもなりました。
「松下村塾」ゆかりの地
松陰神社境内
松陰神社
1890年、松下村塾改修の際に、杉家の人々によって松蔭の御霊を祀って土蔵造りのほこらが建立されたのが始まりです。その後、1907年に 伊藤博文ら松下村塾出身者により、ほこらを本殿として神社なりました。
松門神社
「松門神社」は、吉田松陰の塾生や門下生を御祭神として、1956年に「松陰神社」本殿のすぐ隣りに創建されました。なお、久坂玄瑞、高杉晋作ら 総勢50名以上がご祭神とされています。
吉田松陰幽囚ノ旧宅
吉田松陰の実家にあたる杉家の旧宅で、この場所にもともと建っていました。1855年に「野山獄」を出たあと、ここに幽囚されて講義を行ったことが松下村塾のもととなりました。
宝物殿至誠館
「宝物殿至誠館」では、吉田松陰が遺した著述や物品などの保存と展示を行っており、有料ゾーンと無料ゾーンがあります。ミュージアムショップも併設されています。
吉田松陰歴史館
ここでは、吉田松陰の生涯を20の場面に分けて、70体の蝋人形で再現しています。吉田松陰の思想や行動力、教育などを見て取ることができる施設です。なお、入館料は、大人500円 中高生250円 小学生100円 未就学児は無料。
松下村塾周辺
松下村塾から 徒歩ですぐに行ける範囲にある施設などです。
吉田松陰生誕の地、 吉田松陰像、 吉田松陰の墓
まず、松下村塾から東へ数百メートルのところにあるのが「吉田松陰誕生の地」です。建物はありませんが素晴らしい景色が見られます。また、そのすぐそばが「吉田松陰先生像」「吉田松陰の墓」です。「玉木文之進の墓」「久坂玄瑞の墓」とともにあります。
伊藤博文旧宅、 伊藤博文像
松下村塾のすぐ南側に「伊藤博文旧宅」「伊藤博文別邸」「伊藤博文立像」があります。また、別邸の立派な屋敷は 中を見ることができるようになっています。
萩城下町付近
萩城下町付近は、なまこ壁や白壁など風情のある町並みを感じることができます。また、道は狭いので、ゆったりと歩きながら楽しむといいですね。
萩・明倫学舎
この「萩・明倫学舎」は、「旧藩校明倫館」の跡地に建てられた小学校の校舎を利用した博物館です。ここでは、萩の歴史や世界遺産、幕末について、資料や映像で楽しむことができます。
高杉晋作誕生地、 高杉晋作像
萩城下町の「菊屋横丁」に「高杉晋作誕生地」があります。建物の中には入れませんが、敷地内に入り外から建物内部や資料を見ることができます。なお、この数十メートル南には「高杉晋作立志像」があります。
木戸孝允旧宅
さらに、萩城下町の「江戸屋横丁」には、木戸孝允が20年過ごしたと言われる「木戸孝允旧宅」があります。なお、ここに残る写真や資料も含めて見られるようになっています。
松下村塾への案内
それでは、松下村塾の見学時間やアクセスについて見ていきましょう。
見学時間
「松陰神社」内の境内の見学には制限はありません。 ただ、夜間は松下村塾などは施錠されています。
アクセス
〒758-0011 山口県萩市椿東1537番地(松陰神社内)
公共交通機関で
JR山陰本線 / 東萩駅から 徒歩約15分
【JR東萩駅へ】JR山陽新幹線 / 新山口駅から バスで約70分
車で
中国自動車道 / 美祢東JCTから 小郡萩道路経由 約40分
「山口宇部空港」から 約70分
「萩・石見空港」から 約60分
地図
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