伏見城 … 交通の要衝に築かれた豊臣秀吉の居城

2024年1月20日

伏見城

豊臣秀吉の居城として築かれた「伏見城」は、水運における京都と大阪の間の交通の要衝にありました。1596年の「慶長大地震」で倒壊するとすぐに現在の位置に再建され、秀吉が1598年に没するまでこの地を中心に過ごしたと言われています。なお、現在は、5重6階の大天守などの模擬天守を見ることができます。

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Contents

「伏見城」について

「伏見城」の歴史

指月(しづき)伏見城

まず、伏見城築城のきっかけとなったのは、1592年に豊臣秀吉が「指月の岡」に邸宅を築いたことでした。そして、1593年に嫡男の捨丸(のちの豊臣秀頼)が生まれると、捨丸に「大坂城」を譲ることを想定して、伏見の邸宅を秀吉の居城として大規模な城が築かれました。

「指月伏見城」は現在の伏見城の南南西約1kmのところ、南の宇治川を外堀とする位置にあり、宇治川から船を引き込む水路も築かれます。また、宇治川の少し下流に「伏見港」、宇治川の対岸に支城の「向島城(むかいじまじょう)」、宇治川には「豊後橋」(現在の観月橋)など次々に整備がすすみました。

しかし、1596年に大規模な地震が発生します。「慶長伏見地震」と呼ばれるもので、天守が倒壊し、城内のものが多数亡くなるなど被害も甚大でした。そして、一命をとりとめた秀吉は、小高い木幡山(こはたやま)に避難することとなります。

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木幡山伏見城

「指月伏見城」は倒壊しましたが、再利用できる木材などが多く、直ちに木幡山に再建されました。「本丸」はわずか3ヶ月ほどで完成、引き続き天守や殿舎が完成しつつある翌1597年2月には秀吉が入城、10月には「舟入御殿」「学問所」「茶亭」も完成します。

さらに普請が続いていましたが、1598年8月に秀吉は「つゆとおち つゆときへにし わかみかな なにわの事も ゆめの又ゆめ」ということばを残してこの世をさりました。そして、秀吉は後のことを五大老に託しましたが、五大老の中でも力を持っていた前田利家が亡くなると、徳川家康が「大坂城」に移るなど権勢を振るうようになります。

すると家康は、鳥居元忠を伏見城に置いて「会津征伐」に向かいますが、その間に小早川秀秋と島津義弘の連合軍が伏見城を攻城し、落城にいたります。これは「伏見城の戦い」と言われ、「関ヶ原の戦い」の前哨戦となりました。

徳川家康による再建

「関ヶ原の戦い」で勝利した家康は、伏見城の再建にとりかかります。そして、城には秀吉の家紋である「桐紋」をあしらい、1602年にほぼ完成を迎えました。翌1603年には、伏見城で征夷大将軍の宣下を受けることになります。

こののち秀忠も伏見城で征夷大将軍の宣下を受けますが、「一国一城令」を機に1619年に伏見城の廃城が決まり城割りが始まりました。そして、城割りがすすむ中、1923年に 家光の征夷大将軍の宣下が行われると、完全に廃城となり 建物の多くは全国に移築されていきます。

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今に残る「伏見城」

現地に残る遺構

ただし、当時の遺構がそのまま現地に残っているのは、「土塁」「堀跡」「石垣」「天守台」などで、建物はありません。

移築された遺構

天守は「二条城」へ、櫓、城門、殿舎、湯殿、多門櫓、築地塀などは「福山城」へと移築されました。さらに、数多くの遺構が 現在も全国各地に残されています。

そのほか、京都市内のいくつか寺では、「伏見城の戦い」の際に自刃した 徳川家家臣の血がついているとされる「血天井」の存在が認められていますが、確証はないとのことです。

現在の「伏見城」のようす

1964年に「伏見桃山キャッスルランド」が誕生した際に、「洛中洛外図」をもとに「大天守」「小天守」「櫓門」などが建設されました。2003年に「伏見桃山キャッスルランド」が閉園となり、また、耐震強度の問題から天守の内部へ入ることはできなくなっています。

なお、駐車場から城内へと向かうところにある「櫓門」は、「模擬大手門」です。模擬天守とともにつくられました。

伏見城 模擬大手門
「 模擬大手門 」

右手に5重6階の「大天守」、左手には3重4階の「小天守」が見られます。なお、いずれも鉄筋コンクリート構造の「模擬天守」です。

伏見城 大天守 小天守
「 大天守 」 「 小天守 」

そして、屋根には丸みを帯びた「唐破風(からはふ)」のほか、各所に「桐の紋」を見ることができます。

伏見城 大天守
「 大天守 」

伏見港公園

伏見築城にあわせて築かれた「伏見港」は、交通の要衝にあり「三十石舟」が出入りするなど大いに賑わいました。また、坂本龍馬が襲撃された「寺田屋事件」で知られる「寺田屋」は、伏見港の宿でした。なお、現在は、各種運動施設が揃う「伏見港運動公園」として市民に利用されています。

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「伏見城」の案内

春には、城を背景に「ソメイヨシノ」や「紅枝垂」などの「桜」を見ることができます。時期によっては、ライトアップされることもあります。

伏見城へのアクセス

〒612-0853 京都府京都市伏見区桃山町大蔵45

公共交通機関で

近鉄京都線 / 近鉄丹波橋駅から 徒歩15分
京阪本線 / 丹波橋駅から 徒歩17分
JR奈良線 / 桃山駅から 徒歩17分

車で

第二京阪道路 / 巨椋池ICから 約12分
京滋バイパス / 宇治西ICから 約12分
名神高速道路 / 京都南ICから 約14分

*「模擬大手門」の前が「伏見桃山城運動公園駐車場」(有料)となっています。

地図

豊臣秀吉(1)(山岡荘八歴史文庫)

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