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豊臣秀吉の居城として築かれた「伏見城」は、水運における京都と大阪の間の交通の要衝にありました。1596年の「慶長大地震」で倒壊するとすぐに現在の位置に再建され、秀吉が1598年に没するまでこの地を中心に過ごしたと言われています。なお、 ...

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正式名称を「蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)」という「三十三間堂」は、後白河上皇により創建されました。多数の国宝が安置されており、中でも「千手観音立像」が千体並ぶようすは圧巻です。また、120mにおよぶ本堂軒下で行われた「通し矢 ...

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真言宗醍醐派総本山の「醍醐寺(だいごじ)」は、豊臣秀吉の一世一代の催し物、1300人を招いたと伝わる「醍醐の花見」でも知られています。また、金堂や五重塔、唐門など国宝を始めとする文化財を有し、世界遺産「古都京都の文化財」の一部ともなっ ...

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安土桃山時代に豊臣秀吉によって築城された豪華絢爛の「大坂城」は、江戸時代に大幅に修築された歴史があります。その後、江戸中期に落雷により天守閣を焼失、昭和になって再建された「大阪城 天守閣」は復興天守です。現在は、博物館「大阪城天守閣」 ...

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『方広寺』は、豊臣秀吉により大仏造立のために創建されました。大仏は幾度も焼失と再建を繰り返しましたが、1973年の火災で焼失したままです。 なお、江戸時代には、梵鐘の「国家安康 君臣豊楽」という文字が「方広寺鐘銘事件」のきっかけとなり ...

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豊臣秀吉公を祀る『豊国神社(とよくにじんじゃ)』です。当初は広大で華麗な『豊国社(とよくにのやしろ)』でしたが、徳川家康により破却されてしまいます。その後、長く荒れた時期もありましたが、1880年に明治天皇の御沙汰により再興し 現在の ...

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豊臣秀吉の墓所『豊国廟(ほうこくびょう)』。豊臣秀吉が62年の生涯を終えて、阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)の山頂には「五輪塔」が、中腹には広大な土地に壮麗で雄大な「社殿」が造営されます。そして、豊臣氏滅亡後は徳川氏に破却されるも、「豊臣秀 ...