太宰府天満宮 …学問の神様 菅原道真公を祀る総本山
菅原道真公をお祀りする「太宰府天満宮」は、全国約12,000社の総本宮です。とくに「学問・至誠・厄除けの神様」として知られており、年間約1000万人の参拝者が訪れます。中でも「学業成就」で知られているのは、御祭神の菅原道真公が類まれな ...
西国三十三所 … 近畿周辺33ヶ所の観音信仰の霊場
近畿2府4県と岐阜県にある33ヶ所の観音霊場を「西国三十三所」と言います。この33ヶ所の霊場を札所として巡る「西国三十三所観音巡礼」は日本最古巡礼行であり、1300年続いているとされています。また、令和元年度に日本遺産『1300年つづ ...
岡寺 … 1300年前に飛鳥に創建 日本初の厄除け霊場
奈良県明日香村にある「岡寺(おかでら)」は、およそ1300年前に天智天皇の勅願によって義淵僧正が建立したと伝えられています。悪龍を封じた伝説から「龍蓋寺(りゅうがいじ)」とも呼ばれ「日本最初の厄除け霊場」として知られています。また、「 ...
石舞台古墳 … 総重量2300tの石による横穴式石室
築造は7世紀初めと推定されている「石舞台古墳(いしぶたいこふん)」は、蘇我馬子(そがのうまこ)の墓ではないかと言われています。なお、内部にある石室には、屋根部分の2つの巨石など大小30数個の花崗岩が使われており、総重量は 2300t ...
長谷寺(はせでら) … 花の御寺 西国三十三所観音霊場
「長谷寺」の山号は「豊山(ぶざん)」であり、真言宗豊山派の総本山です。徳道上人によって「西国三十三所観音霊場」が開かれ、その根本道場として信仰が広がっています。また、牡丹や椿、躑躅、紅葉など四季を通じてさまざまな花が見られることから、 ...
松下村塾 … 吉田松陰のもと維新の偉人が学んだ私塾
「松下村塾」は、長州藩の「藩校明倫館」の師範であった吉田松陰 が教えた私塾です。そして、その門下生には、高杉晋作や久坂玄瑞のほか、伊藤博文や山縣有朋らのちに総理大臣になるような錚々たる人物が含まれています。また、現存する松下村塾の建物 ...
三十三間堂 … 南北120mのお堂に 千体千手観音立像
正式名称を「蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)」という「三十三間堂」は、後白河上皇により創建されました。多数の国宝が安置されており、中でも「千手観音立像」が千体並ぶようすは圧巻です。また、120mにおよぶ本堂軒下で行われた「通し矢 ...
長崎原爆資料館 … 被害や経緯を伝え平和を考える
1945年8月9日に長崎に投下された原子爆弾「ファットマン」。その被害の悲惨さや経緯などを伝え、平和について考える施設として「長崎原爆資料館」が建てられています。また、原爆の被害を目のあたりにできる実物や模型のほか、原子爆弾そのものの ...
亀山社中 記念館 … 坂本龍馬らが結成 日本初の商社
勝海舟による「神戸海軍操練所」の解散から、坂本龍馬らが「亀山社中」を結成。日本初の商社でありながら、薩長をつなぐ架け橋として新時代幕開けの足がかりをつくりました。さらに、亀山社中から発展した「海援隊」は、多岐にわたる活動のほか学ぶ集団 ...
原城 (原城跡)… 「島原・天草一揆」の最後の砦
「原城(原城跡)」は、島原半島の南部、天草諸島を臨む丘陵にあります。天草四郎(益田時貞)を首領とした「島原・天草一揆」、その激戦の舞台となったのが「原城」でした。そして、今も残る「本丸跡」や「石垣」などから、当時のようすをうかがい知る ...