方広寺 … 方広寺鐘銘事件の鐘が現存、豊臣秀吉創建の寺

2021年10月8日

方広寺梵鐘

『 方広寺 』は、豊臣秀吉により 大仏造立のために創建されました。 大仏は幾度も焼失と再建を繰り返しましたが、1973年の火災で焼失したままです。 江戸時代には、梵鐘の「 国家安康 君臣豊楽 」という文字が「 方広寺鐘銘事件 」のきっかけとなり、「 大坂の陣 」から「 豊臣氏滅亡 」へとつながったと言われています。

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「 方広寺 」について

方広寺は、豊臣秀吉の発願( ほっがん )した「 大仏( 盧舎那仏 )」を安置する場所として、木食応其( もくじきおうご )が創建した天台宗の寺院です。 木食応其は、秀吉に協力し、「 高野山金堂 」を始めとする高野山周辺、京都の「 東寺 」「 醍醐寺 」など、その他の全国の 97の寺や塔の造営に関わったとされています。( 方広寺HP

「 方広寺 」の歴史と「 京の大仏 」

『方広寺』の創建は、焼損した「 東大寺大仏 」に代わるものをと 豊臣秀吉が大仏の造立を発願 したことに始まります。 当初は、小早川隆景を普請奉行として 現在の京阪本線 / 鳥羽街道駅近くの「 遣迎院( けんこういん )」付近に造立予定でしたが、一旦中止になりました。

1588年には、木食応其により 現在の場所に再建が開始されます。 同時に、「 伏見城 」と南北で直線につなぐ「 伏見街道( 伏水街道とも )」など周辺も整備がすすみました。 1591年に大仏殿の「 立柱式 」が行われると、1595についに完成となります。

完成した大仏殿は広大なもの で、現在の「 妙法寺 」「 豊国神社 」「 国立博物館 」や「 三十三間堂 」の敷地を含む広さであり、大仏は「 東大寺大仏 」より大きい 6丈 3尺( 約19m )でした。 ただ、工期短縮のために銅製から木造となった大仏は、翌1596年に「 慶長伏見地震 」により倒壊します。 この地震は、「 伏見城 」の天守が倒壊するほどの大規模なもので、マグニチュード 7.5ほどではないかと推定されているものです。

1599年には、豊臣秀吉亡き後に 豊臣秀頼が「 銅の大仏建立 」を試みますが、溶けた銅から火災が起き「 大仏殿 」とも消失してしまいました。

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「 方広寺鐘銘事件 」

1608年から再建が始まると、1612年に「 大仏 」と「 大仏殿 」が完成 、1614年には「 梵鐘( ぼんしょう )」も完成しますが、「 開眼供養( かいげんくよう )」は延期となります。 梵鐘の「 君臣豊楽 国 」の文字について、豊臣家を君主としながら、家康の文字を分断し 徳川家を冒涜しているととらえられて「 大坂の陣 」の引き金となってしまいました。

方広寺 君臣豊楽 国家安康
「 君臣豊楽 国家安康 」

なお、「 梵鐘 」の「 君臣豊楽 国家安康 」の文字に目が行きがちですが、吊り下げている天井の「 天井画 」もきれいに残っているのがわかります。 「 鐘楼 」は、鐘の音が鳴り響くようにつくられているので、四方が完全に壁で覆われているわけではありません。 そのわりには、「 鐘 」も「 天井画 」も状態よく保存されているのがわかります。

方広寺 梵鐘天井
「 梵鐘天井 」

江戸時代以降の「 方広寺 」と「 大仏 」

「 大坂の陣 」以降も大仏は残されましたが、1662年の地震で大破、その後木造で再建されたものも 1798年の落雷で焼失しました。 さらに、江戸時代後期に 上半身のみ木造で再興されますが、1973年に「 火災にて消失 」したまま現在に至ります。 ( 1973年の火災記事

『方広寺』は、今でも「 大仏さん 」と呼ばれて親しまれており、大仏殿跡は「 緑地公園 」となっています。

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「 方広寺 」の案内

拝観案内

本 堂 : 9:00 – 16:00、大人 300円 / 小人 200円
鐘 楼 : 志納( 本殿南側にあり、いつでも見ることができます )

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アクセス

〒605-0931 京都市東山区 正面通大和大路東入茶屋町

交通機関で

京阪本線 / 七条駅 徒歩8分
京都市バス / 博物館三十三間堂前 徒歩4分

車で

名神高速 / 京都東IC から 約20分
名神高速 / 京都南IC から 約20分
第二京阪 / 鴨川東IC から 約10分
第二京阪 / 鴨川西IC から 約10分

* 専用の「 駐車場 」はありません。

地図

方広寺の南側には「 豊国神社 」「 京都国立博物館 」「 三十三間堂 」、 西には豊臣秀吉が築かせた「 耳塚 」があります。 東へ1kmほど登ると、阿弥陀ヶ峰の「 豊国廟 」へとつながります。

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京都国立博物館 … 1897年開館。「 東京国立博物館 」 に次ぐ規模と収蔵点数。
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まつ山 … 西へ100m。 そば、うどんの老舗。

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