方広寺 … 方広寺鐘銘事件の鐘が現存、豊臣秀吉創建の寺

2022年9月15日

方広寺梵鐘

『方広寺』は、豊臣秀吉により大仏造立のために創建されました。大仏は幾度も焼失と再建を繰り返しましたが、1973年の火災で焼失したままです。 なお、江戸時代には、梵鐘の「国家安康 君臣豊楽」という文字が「方広寺鐘銘事件」のきっかけとなり、「大坂の陣」から「豊臣氏滅亡」へとつながったと言われています。

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「 方広寺 」について

方広寺は、豊臣秀吉の発願(ほっがん)した「大仏(盧舎那仏)」を安置する場所として、木食応其(もくじきおうご)が創建した天台宗の寺院です。また、木食応其は、秀吉に協力し「高野山金堂」を始めとする高野山周辺、京都の「東寺」「醍醐寺」など、その他の全国の97の寺や塔の造営に関わったとされています。(方広寺HP

「 方広寺 」の歴史と「 京の大仏 」

『方広寺』の創建は、焼損した「東大寺大仏」に代わるものをと 豊臣秀吉が大仏の造立を発願 したことに始まります。そして、当初は小早川隆景を普請奉行として現在の京阪本線 / 鳥羽街道駅近くの「遣迎院(けんこういん)」付近に造立予定でしたが、一旦中止になりました。

その後、1588年には木食応其により現在の場所に再建が開始されます。同時に、「伏見城」と南北で直線につなぐ「伏見街道(伏水街道とも)」など周辺も整備がすすみました。さらに、1591年に大仏殿の「立柱式」が行われると、1595についに完成となります。

完成した大仏殿は広大なもの で、現在の「妙法寺」「豊国神社」「国立博物館」や「三十三間堂」の敷地を含む広さであり、大仏は 「東大寺大仏」より大きい6丈3尺(約19m) でした。ただ、工期短縮のために銅製から木造となった大仏は、翌1596年に「慶長伏見地震」により倒壊します。この地震は、「伏見城」の天守が倒壊するほどの大規模なもので、マグニチュード7.5ほどではないかと推定されているものです。

さらに、1599年にも、豊臣秀吉亡き後に豊臣秀頼が「銅の大仏建立」を試みますが、溶けた銅から火災が起き「大仏殿」とも消失してしまいました。

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「 方広寺鐘銘事件 」

1608年から再建が始まると、1612年に「大仏」と「大仏殿」が完成 、1614年には「梵鐘(ぼんしょう)」も完成しますが、「開眼供養(かいげんくよう)」は延期となります。そして、梵鐘の「君臣豊楽 国」の文字について、豊臣家を君主としながら、家康の文字を分断し徳川家を冒涜しているととらえられて「大坂の陣」の引き金となってしまいました。

方広寺 君臣豊楽 国家安康
「 君臣豊楽 国家安康 」

なお、「梵鐘」の「君臣豊楽 国家安康」の文字に目が行きがちですが、吊り下げている天井の「天井画」もきれいに残っているのがわかります。「鐘楼」は、鐘の音が鳴り響くようにつくられているので、四方が完全に壁で覆われているわけではありません。そのわりには、「鐘」も「天井画」も状態よく保存されているのがわかります。

方広寺 梵鐘天井
「 梵鐘天井 」

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江戸時代以降の「 方広寺 」と「 大仏 」

「大坂の陣」以降も大仏は残されましたが、1662年の地震で大破、その後木造で再建されたものも1798年の落雷で焼失しました。さらに、江戸時代後期に 上半身のみ木造で再興されますが、1973年に「火災にて消失」したまま現在に至ります。 ( 1973年の火災記事

しかし、『方広寺』は今でも「大仏さん」と呼ばれて親しまれており、大仏殿跡は「緑地公園」となっています。

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「 方広寺 」の案内

拝観案内

本 堂:9:00 – 16:00、大人300円/小人200円
鐘 楼:志納(本殿南側にあり、いつでも見ることができます)

アクセス

〒605-0931 京都市東山区 正面通大和大路東入茶屋町

交通機関で

京阪本線 / 七条駅 徒歩8分
京都市バス / 博物館三十三間堂前 徒歩4分

車で

名神高速 / 京都東IC または 京都東IC から 約20分
第二京阪 / 鴨川東IC または 鴨川西IC から 約10分

*専用の駐車場はありません。

地図

方広寺の南側には「豊国神社」「京都国立博物館」「三十三間堂」、西には豊臣秀吉が築かせた「耳塚」があります。さらに、東へ1kmほど登ると、阿弥陀ヶ峰の「豊国廟」へとつながります。

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