二条城 … 徳川家康築城の世界遺産 元離宮二条城
二条城の正式な名前は「元離宮二条城」。徳川家康の将軍宣下の賀儀、幕末には二の丸御殿にて「大政奉還」が行われるなど江戸時代の始まりと終わりの地と言えます。現在は、四季折々の花や木に囲まれた国宝や重要文化財を観覧することができる文化財です。また、日本100名城に選ばれています。
戦国の城を歩く ( ちくま学芸文庫 ) 千田嘉博著
Contents
二条城の歴史
「元離宮二条城」は徳川家康が上洛時の宿所として築城したものですが、室町時代以降にはさまざまな二条城がありました。それでは、二条城について詳しく見ていきましょう。
二条城の移り変わり
足利義輝の居城
まず、最初の二条城は、1565年に幕府の重鎮斯波(しば)氏の屋敷跡に室町幕府 第13代将軍足利義輝の居城「二条御所武衛陣の御構え」として築かれました。なお、武衛(ぶえい)とは斯波氏の役職のことで、現在は「武衛陣(ぶえいじん)」という地名となっており二条城の数百メートル北東にあたる位置にあります。
しかし、この年の5月、二条城に押し寄せてきた松永久通と三好三人衆と呼ばれる三好長逸(ながやす)、三好宗渭(そうい)、岩成友通による襲撃を受け、義輝は命を落としました。
足利義昭の邸宅
次は、室町幕府 15代将軍足利義昭の城郭造りの邸宅 としてのものです。義昭の後ろ盾となっていた織田信長は、1568年に上洛するも、翌1569年には再度三好三人衆の襲撃を受けるなど防御態勢が必要となりました。そこで、義輝の「二条御所武衛陣の御構え」を拡張する形で、二重の堀や三重の天主などを短期間で造り上げます。
ところが、義昭と信長の関係が悪化。1573年3月には義昭は二条城から信長に対して挙兵しましたが、一旦は和議が成立しました。その後、同年7月に義昭は再度宇治の「槙島城」から挙兵しますが、包囲され降伏します。
なお、このときの二条城は破壊され、天主や門は築城中の「安土城」に転用されることとなりました。
織田信長の「 二条御新造 」
二条家の邸宅からの庭の眺望を気に入った 織田信長 は、邸宅を譲り受け「二条御新造」として1577年に改修を完成、上洛時の宿所としました。そして、1579年には、皇太子の誠仁親王に献上し「二条新御所」となります。
1582年に「本能寺の変」が起きると、駆けつけようとした信長の嫡男である織田信忠は村井貞勝らと二条新御所に籠城しました。しかし、信忠らは明智光秀勢に対し奮戦するも討ち死にし、「二条新御所」は跡形もなく燃えてしまいます。
豊臣秀吉の「 二条第 」
信長の死後の1583年に京都における拠点として、豊臣秀吉は「二条第」を構えます。なお、現在の二条城から北に数百メートルあたりの妙顕寺の跡地にあったことから、「妙顕寺城」とも呼ばれます。
「聚楽第」の完成までは秀吉の政庁として使用されており、豊臣政権の五奉行の一人である前田玄以が在城していました。
二条城の現在
築城
現在の二条城は、「関ヶ原の戦い」で勝利した 徳川家康が1603年に築城 しました。二条城はさまざま重要な役割を担いましたが、「大坂の陣」では本営となります。
その後、1624年に後水尾天皇の行幸を迎える ための大改修が始まります。また、天守の位置を西に変えて「伏見城」の五重の天守を移築しました。そして、10年間ほど二条城は賑わいを見せます。
幕末
手つかずで放置されていた二条城は、1862年に14代将軍徳川家茂を迎えるための大改修が行われました。
そして、1866年12月には、徳川慶喜が二条城で第15代将軍の拝命の宣旨を受け、翌年9月に宿所を二条城に移します。しかし、その年 1867年10月に徳川慶喜は「大政奉還」し将軍職を返上 しました。
近現代
1887年に宮内省の所管となり「二条離宮」となります。その後、1939年に京都市に下賜され、翌年に「恩賜元離宮二条城」として一般公開されました。また、日本100名城にも選ばれており、現在も多くの観光客で賑わっています。
元離宮二条城の城内
二条城内は、東寄りに二の丸御殿、西寄りに本丸御殿があり、東から西へ、北側を周って戻ってくるのが基本ルートです。( HPの城内マップ )
地下鉄の駅からも、駐車場からも、二条城東側の堀川通に面した「東大手門」から城内に入ることになります。
東大手門から二の丸周辺( 東側 )
二条城の正門は「東大手門」です。なお、この重要文化財となっている二階建ての櫓門は、1626年に建築され1662年に二階が増築されたと考えられています。
唐門
そのあとは、豪華絢爛で色鮮やかな「唐門」(重要文化財)をくぐります。また、唐門の屋根は本を伏せたような形をした切妻造(きりつまづくり)で檜皮葺(ひわだぶき)、前後には曲線の形状をした唐破風(からはふ)が付いています。
二の丸御殿
場内に入ってまず見えるのが「二の丸御殿」(国宝)です。外観は桃山文化を思わせる装飾であり、部屋数33、畳数800以上の内部も狩野派の障壁画などで装飾されています。
また、6棟からなる建物は、玄関にあたる「車寄(くるまよせ)」があり、南から順に「遠侍(とおざむらい)」「式台(しきだい)」「大広間」「蘇鉄の間」「黒書院(くろしょいん)」「白書院(しろしょいん)」と呼ばれる建物が雁行に並びます。これらは、すべて廊下でつながって一体となっています。
とくに、大広間は、1867年に徳川慶喜が「大政奉還」し、将軍職を返上した舞台となったことで有名ですね。
二の丸庭園
この「二の丸庭園」は後水尾天皇の行幸の際に造られた書院造庭園であり、「二の丸御殿」の大広間、黒書院、行幸御殿の三方向から観賞することを想定して造られました。
なお、別名「八陣の庭」とも呼ばれ、中心に池を配置し周りを歩いて観賞できるものです。「蓬莱島」「亀島」「鶴島」と3つの島が池に浮かび、さまざまな角度からでも鶴と亀が見えるよう工夫されています。
本丸から北大手門側( 西側から北側 )
次に、二の丸庭園を抜けて内堀を渡ると「本丸御殿」と「本丸庭園」です。
本丸御殿
「本丸御殿」は、1626年に後水尾天皇行幸のために本丸内に新たに御殿が築かれましたが、1788年に消失しました。また、徳川15代将軍の徳川慶喜が建てた御殿は、1881年に取り壊れています。
なお、現在に残る「本丸御殿」は、1893年に明治天皇の意向により京都御所の桂宮御殿を移築したもので、重要文化財となっています。
天守閣跡
本丸の南西隅には、伏見城から移築された五重六層の天守があったとされる「天守閣跡」があります。その後、1750年に落雷により焼失し、それ以降は再建されることはありませんでした。また、天守閣跡に登ってみると、京都の町並みを見ることができますよ。
清流園「 和楽庵 」
北側の「清流園」には、「和楽庵」と「香雲亭」などがあります。なお、「和楽庵」は、1965年に旧角倉了以屋敷から移築した数寄屋に、残月亭を模した茶室を表千家から寄贈されて増築したものです。
清流園「 香雲亭 」
「香雲亭」についても、角倉了以屋敷から移築されたものです。また、内部は非公開ですが、「二条城ウエディング」として結婚式の式場としても利用されています。
二条城障壁画展示収蔵館
二の丸御殿の本物の障壁画を見ることができます。障壁画は御殿と同じ配置で収納されており、その配置は年に4回ほどテーマによって変更されます。
そして、最後に「大休憩所」があります。ここでは、飲食もできますし、お土産を買うこともできますよ。
二条城の案内
それでは、入城案内やアクセスについて見ていきましょう。二条城の開場時間と二の丸御殿の拝観時間に違いがあります。また、桜の季節には「ライトアップ」が行われ、夜に開場時間が設定されており別途チケットが必要です。
なお、「入城記念符(御城印)」の受付や「日本100名城スタンプ」は、「大休憩所」にあります。
二条城の開城時間や休城日など
開場時間と休城日
平常時:8:45-16:00( 閉城17:00 )
7, 8月:8:00-17:00( 閉城18:00 )
9 月:8:00-16:00( 閉城17:00 )
休城日:12月29日〜31日
二の丸御殿観覧受付時間および休殿日
平常時:8:45-16:10
7, 8月:8:45-17:10
休殿日:1,7,8,12月の毎週火曜日、12月26〜1月3日
( 休殿日が休日の場合は翌日を休殿日 )
二条城入場料など
入城料 / 二の丸御殿観覧料
一 般:1,030円( 入城料のみは620円 )
中高生: 350円
小学生: 200円
展示収蔵館観覧料
一般、中高生、小学生とも:100円
*なお、市内在住の小中学生、市内の小中学校に通う方は本人無料。
一口城主募金
現在「 二条城本格修理事業 」が実施されており、2011年からおよそ20年をかけて、本丸御殿や二の丸御殿を中心とした文化財や歴史的建造物の修理を行っています。
一口募金詳細
現金や銀行振込のほか、クレジットカード決済も可能です(案内ページ)。1万円以上の高額の募金をされた方には、1日城主の抽選券などの特典や協力者名簿への記載があります。また、1万円未満の寄付の方にも金額に応じた記念品がありますよ。
二条城へのアクセス
所在地:〒604-8301 京都市中京区二条通堀川西入二条城町541
電 話:075-841-0096
電車またはバスで
京都市営地下鉄 二条城前 徒歩すぐ
JR嵯峨野線 二条駅 徒歩17分
京都市バス 二条城前 徒歩すぐ
車で
名神高速道路 京都南ICまたは京都東ICから 約30分
阪神高速道路 鴨川西ICまたは鴨川東ICから 約15分
第1駐車場 / 東側 8:15-18:00 乗用車120台( 10月除く )
第3駐車場 / 南側 8:15-18:00 乗用車 20台
地図
二条城の関連リンク
「二条城」と同じく「日本100名城」に選ばれている城の記事、「続日本100名城」「近隣のお出かけ情報」について紹介します。
日本100名城
関東・甲信越地方
27番 上田城 … 真田昌幸が築城した長野県信州上田の城
29番 松本城 … 現存する五重六層の天守をもつ国宝の城
北陸・東海地方
39番 岐阜城/稲葉山城 … 斎藤家から信長へ、標高329mの山城
47番 伊賀上野城(上野城、白鳳城)… 三重県伊賀市の平山城
近畿地方
50番 彦根城 … ひこにゃんでも知られる現存天守を残す城
51番 安土城 … 築城から6年で消失した幻の名城
54番 大阪城/大坂城 … 秀吉の豪華絢爛の城から二度の再建
57番 篠山城 … 大書院が復元された丹波篠山の日本100名城
続日本100名城
165番 郡山城 … 羽柴秀長時代は「大和 ・ 和泉 ・ 紀伊」百万石の地
188番 原城(原城跡)… 「島原・天草一揆」の最後の砦
その他の城
・坂本城 … 明智光秀が築いた 安土城に次ぐ天下第二の城
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