上田城 … 真田昌幸が築城した長野県信州上田の名城

2022年9月18日

上田城跡

難攻不落の「上田城」は戦乱の世に輝きを放った真田家の歴史とともにありました。2016年に放送された NHK大河ドラマ『真田丸』は記憶に新しいところですね。現在は、春には「上田城千本桜まつり」、秋には「上田城紅葉まつり」でにぎわいます。

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「上田城」について

それでは、上田城の歴史や真田家との関わりも含めて見ていきましょう。なお、上田城は「日本100名城」に選ばれている名城です。信州上田観光ガイド(HP)にも 詳しく説明がありますよ。

「上田城」の歴史

上田城は上田盆地北部に位置しており、北に太郎山、南に千曲川と要害に築かれた平城です。そして、上田城の歴史は、真田昌幸とその長男信之、次男信繁(幸村)とともにありました。

真田太平記(一) 天魔の夏/新潮文庫

上田城築城

1582年、仕えていた武田氏が滅亡し、さらには「本能寺の変」で織田信長が死亡。その後、「天正壬午の乱」と呼ばれる徳川家康、上杉謙信、北条氏直らによる「旧武田領争奪戦」が起こります。

そして、この混乱の中、目まぐるしく主を変えながら真田家の生きる道を探る真田昌幸は、1583年に徳川家康の命により「上田城」を築きます。

マンガで読む 真田三代

第一次上田合戦

もともと徳川家康との和睦条件に納得していなかった真田昌幸は、家康との手切れを決断し、信繁を上杉謙信の人質として 家康の攻撃に備えました。

すると、1585年8月、徳川軍は鳥居元忠らが約7,000の兵を上田城や沼田城に攻撃開始。しかし、真田昌幸は約2,000の戦力で徳川軍に大打撃を与え勝利します。これが、「第一次上田合戦」です。

第二次上田合戦

その後、天下人となった豊臣秀吉についた真田昌幸は、秀吉の死後に起こった「関ヶ原の戦い」では西軍として戦います。一方で、真田家の行く末を案じた昌幸は、信之だけは東軍方につけました。

そして、「関ヶ原の戦い」において、徳川家康の三男である徳川秀忠は、約38,000の兵を率いて江戸から中山道を通って上田城攻略を開始。一方、真田昌幸と信繁は約2,000とも2,500とも言われる兵力で籠城し、ときおり奇策を使いながら秀忠を翻弄、秀忠は撤退を余儀なくされました。

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その後

関ヶ原の戦いで敗れた真田昌幸は、上田城を没収され、信繁とともに高野山で蟄居の身に。その後、1601年に東軍についた真田信之が旧領を継ぎ三の丸に居を構えますが、1622年には真田氏が松代に移され仙石氏が代々城主として上田藩を引き継ぎました。

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上田城 跡

「 東虎口櫓門 」「 北櫓 」「 南櫓 」

まず、1949年に北櫓と南櫓が復元され、1994年に東虎口櫓門が移築再現されました。なお、現在は中を観覧できるようになっており、「矢狭間」など防御のための造りや武具などの展示品とを見ることができます。

上田城 東虎口櫓門、南櫓
「 東虎口櫓門 」「 南櫓 」

「 真田石 」

北櫓の石垣には、「真田石」と呼ばれる直径3mほどの石があります。これは、真田信之が松代に移された際、真田昌幸の形見として持っていこうとしたが動かなかったと言い伝えられています。

なお、その他に上田城に使われている石は、上田市街地北側にある太郎山(標高1,164m)の凝灰岩が使用されていると言われています。

上田城 真田石
「 真田石 」

「 真田井戸 」

本丸にある「真田井戸」は直径2m、深さ16.5m。また、井戸には抜け穴があり、太郎山麓の砦や上田藩主居館(現上田高校敷地内)に通じていたという伝説が残されています。

上田城 真田井戸
「 真田井戸 」

「 西櫓 」

千曲川の支流となる尼ヶ淵を望む「西櫓」。防御のポイントでもあり、矢や鉄砲を撃つための矢狭間や鉄砲狭間が設けられています。また、上田城では江戸時代から現存している唯一の建物です。

上田城 西櫓
「 西櫓 」

「 真田神社 」

真田昌幸、真田信繁(幸村)父子を主神とする神社で、「真田神社」の由緒は入り口には次のように書かれていました。また、大軍の攻撃にも「落ちなかった」城ということで、合格祈願に参拝する受験生も多いようです。

当社は戦国時代の天正十一年(一五八三)上田にこの平城を築き城下町を造った真田父子を主神とし、江戸時代に民政に尽くした仙石・松平の歴代藩主を祭神とする、神社であります。殊に十数倍の大軍を二回に亘り撃退して日本一の智将と謳われた真田幸村の神霊は、今も知恵の神様として崇められています。

知恵の神社 真田神社の由緒/真田神社

上田市立博物館

「上田市立博物館」は、上田城二の丸付近に「本館」と「別館」があり、「北櫓」「南櫓」での展示も上田市立博物館の管理となっています。

概要

上田地域の歴史や民族、自然資料などを本館で収蔵、展示しており、別館では真田氏を中心とした資料を展示しています。

【本館】
1F : 歴代上田藩主資料 / 山極勝三郎記念室 / 江戸時代地域資料
2F : 近代資料
【別館】
1F : 自然資料
2F : 真田氏関連資料

真田氏関連の展示品

「真田父子犬伏密談図」は真田父子三人による会談のようすが描かれており、「関ケ原合戦」に向けてそれぞれが東西どちらにつくかを話し合う場面です。さらに、次のような展示があります。

真田昌幸着用具足/真田昌幸画像/真田幸村画像/錦絵真田父子籠城図/錦絵真田幸村勇戦之図など

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NHK大河ドラマ『 真田丸 』

NHK大河ドラマ『真田丸』は、2016年に放映されました。当時は、上田市でもロケが行われ、現在もドラマで使用された甲冑が「上田市観光会館」(上田城 二の丸橋向かい)に展示されています。

真田丸甲冑

まずは、「真田丸」について、続いてNHK大河ドラマ『真田丸』の概要を見ていきます。

「 真田丸 」について

「真田丸」とは、1614年の大坂冬の陣において、豊臣方である真田信繁(幸村)が 大坂城の南側に築いた「出城」のことです。実は、南側は防御としては手薄く、「真田丸」を築くことでカモフラージュしていたのではないかという説があります。

真田丸の戦い

豊臣方が大坂城付近の砦を放棄して撤収すると、幕府軍は大坂城を包囲します。真田丸の正面には前田利常を始めとする大軍を配置すると、豊臣方も真田信繁らが対峙しました。

信繁は、真田丸の前方の篠山という丘をうまく使ったかけひきで前田勢を手玉に取ると、続いて井伊直孝や松平忠直の軍勢にも大打撃を与えます。これにより、幕府軍は家康の命で退却しますが、退却にも手こずる結果となりました。

しかし、真田丸は「大坂冬の陣」の和議の条件として、取り壊されることになります。

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NHK大河ドラマ『 真田丸 』の概要

真田家のキャストは、真田信繁(幸村)に堺雅人、兄の信之が大泉洋、父の昌幸は草刈正雄でした。そのほか、徳川家康は内野聖陽、豊臣秀吉に小日向文世など。なお、ドラマは4部構成となっています。

信繁青春編

主家武田家の滅亡から、織田信長の死、天正壬午の乱と続く混乱を真田家存続のため、父の昌幸が中心となり信繁も奔走します。そして、次々と盟約相手を変えながら家を守りますが、徳川家康との関係が悪化、家康は真田討伐のために 約7000の軍勢を送りました。また、昌幸は巧み戦術で家康軍を破り、真田家は全国に知られる存在となります。

大阪編

信長の死後、豊臣秀吉が勢力を広げる中、上杉景勝らと上洛した信繁は秀吉の命で大阪に残ることになりました。

次々に諸大名が秀吉に臣従しますが、北条氏政との溝は深まり秀吉の「北条征伐」が始まります。小田原城に籠城し伊達政宗の援軍を待っていた氏政でしたが、政宗も秀吉に臣従したことで最後には切腹。これで秀吉の全国統一が成し遂げられました。

三成・九度山編

秀吉が亡くなると、五大老の徳川家康と五奉行の石田三成との対立が表出します。そして、三成の配下となっていた信繁は、大決戦となる「関ヶ原の戦い」を前に父の昌幸とともに三成方に、兄の信幸が徳川方につくことで真田家の存続を図りました。

「関ケ原の戦い」では徳川方が勝利、信繁と昌幸は和歌山県の九度山に幽閉され、家康は幕府を開きます。しかし、「方広寺鐘銘事件」で徳川と豊臣の関係が悪化すると、信繁は大坂城入城の要請を受け、大坂行きを決意し「幸村」と名を改めます。

大坂の陣編

準備を整えた信繁は、真田丸に陣を取ると次々に徳川軍を撃退しました。このようすを聞いた上杉景勝は「真田左衛門佐、日本一の兵」と称賛します。ところが、徳川方のカルバリン砲により雲行きが怪しくなり、和議を結ぶも不利なものとなります。

再戦となった「大坂夏の陣」では、不測の事態などで混乱する中、信繁は家康を追い詰めます。しかし、家康の援軍に阻まれ、やがては自害することとなりました。

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「上田城」の案内

上田城跡公園内には県立博物館もありますが、ここでは上田城跡関連をご案内します。

入場案内

入場料

上田城 南櫓・北櫓・櫓門 観覧料
一般300円/高校以上の学生200円/小中学生100円

アクセス

鉄道で

北陸新幹線/上田駅から 徒歩10分
(東京から約1時間30分、大阪から約4時間30分、名古屋から約3時間30分)

車で

上信越自動車道 / 上田菅平ICから 約10分
(東京から約2時間30分、大阪から約5時間30分、名古屋から約3時間30分)

一般車向けの駐車場は、次の2ヶ所があります。
・上田城跡北観光駐車場104台/1時間無料 1時間超〜11時間内100円ずつ加算
・上田城跡駐車場88台/無料

地図

上田城のリンク

日本100名城

関東・甲信越地方

27番 上田城 … 真田昌幸が築城した長野県信州上田の城
29番 松本城 … 現存する五重六層の天守をもつ国宝の城

北陸・東海地方

39番 岐阜城 / 稲葉山城 … 斎藤家から信長へ、標高329mの山城
47番 伊賀上野城 ( 上野城、白鳳城 )… 三重県伊賀市の平山城

近畿地方

50番 彦根城 … ひこにゃんでも知られる現存天守を残す城
51番 安土城 … 築城から6年で消失した幻の名城
53番 二条城 … 徳川家康が築城した世界遺産「 元離宮二条城 」
54番 大阪城 / 大坂城 … 秀吉の豪華絢爛の城から二度の再建
57番 篠山城 … 大書院が復元された丹波篠山の日本100名城

続日本100名城

165番 郡山城 … 羽柴秀長時代は 「 大和 ・ 和泉 ・ 紀伊 」 百万石の地
188番 原城( 原城跡 )… 「 島原・天草一揆 」 の最後の砦

その他の城

坂本城 … 明智光秀が築いた 安土城に次ぐ天下第二の城
水口城 … 将軍徳川家光が 東海道の宿場町に築かせた城
信貴山城 … 松永久秀が平蜘蛛茶釜とともに最期を迎えた地

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