郡山城 … 羽柴秀長「大和・紀伊・和泉」百万石の地
筒井順慶や羽柴秀長の居城となった「郡山城」、一時は大和・紀伊・和泉の100万石の中心となりました。天守は残っていませんが、「追手門」が復元され、「天守台」も整備されており奈良の町並みを一望することができます。なお、「続日本100名城」「日本さくらの名所100選」にも選ばれています。
Contents
「郡山城」の歴史
「郡山城」の成り立ちと筒井順慶の時代
郡山城の成り立ち
まず、郡山城の始まりは、12世紀に築城されたとされる「雁陣(がんじん)之城」です。そして、16世紀には赤沢朝経(あかざわともつね)に攻め込まれるなど戦乱に巻き込まれますが、1559年に松永久秀の侵攻されると城主の郡山衆は松永久秀につきます。
筒井順慶の入城
「筒井城の戦い」 により、郡山城は筒井順慶、筒井城は松永久秀が押さえて対峙します。その後、筒井順慶は松永久秀の攻撃を受けますが、1571年の「辰市城(たついちじょう)の合戦」で勝利すると、織田信長の援助を受けながら地侍を次々に支配下におき大和を統一しました。
「筒井城」を本城としていた筒井順慶でしたが、信長の破城令により筒井城は破却となり、大和は郡山城一城のみとなります。そして、1581年から普請目付を明智光秀として改修が始まり、1583年に「天守」が完成しました。
しかし、筒井順慶は翌1584年に死去、子の筒井定次の代になると「伊賀上野城」へ転封となります。
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豊臣時代から徳川時代
羽柴秀長を迎えて
1585年に、羽柴秀長は大和・和泉・紀伊の三国、百万石の太守として入城し、その規模にふさわしい「城郭」や「城下町」を整備しました。さらに、大坂城の東に位置し重要な拠点として規模の大きい城郭がつくられただけでなく、秀長は城下町に自治制度を導入するなど経済も大きく発展させます。
その後、1591年に秀長が死去すると、その養子である羽柴秀保も1594年に亡くなり、大和百万石時代は短期間で終焉することとなりました。そして、以降は五奉行の一人でもある増田長盛(ましたながもり)が入城しますが、「関ヶ原の戦い」のあとには追放されてしまいます。
郡山城の戦い
「関ヶ原の戦い」に勝利した徳川家康は、郡山城に筒井定慶(じょうけい)と筒井順斎の兄弟に入城させました。そして、筒井兄弟は、「大坂冬の陣」で苦しい状況となった豊臣陣営に協力を求められましたが、断り続けます。
すると、1615年4月に約二千の軍を率いた大野治房らが迫ったとき、定慶は敵を三万の大軍と見誤り郡山城から「福住中定城(ふくすみなかさだじょう)」(現在の天理市)へと撤退しました。その後、一旦は郡山城を落とされますが、徳川軍が進軍しているとの報を聞いた豊臣方は郡山城をあとにして大坂城へと向かいます。
江戸時代中期以降
「郡山城の戦い」のあと、水野勝成が入り城郭の修築を行いました。そののち、松平忠明が入城すると、二の丸屋形の造営や伏見城から鉄門などの移築をすすめました。また、本多政勝の時代には、「城郭」は完成し、「城下町」も最盛期を迎えます。
さらに、江戸時代後期には、柳沢吉里(やなぎさわよしさと)が甲斐から移封され城下町の発展に力を尽くし、飢饉による苦境も乗り越えました。しかし、郡山城は「明治維新」後には破却されてしまいます。
現在の「郡山城」
郡山城は明治維新時に廃城となりますが、市民の手により「追手門(梅林門)」が復元されるなど、近年復元への動きが広まっています。また、2017年には約500の城の中から「続日本100名城」(財団法人日本城郭協会)に選ばれました。
さらに、1990年に「日本さくら名所100選」に選ばれており、桜が満開の時期に「大和郡山お城まつり」が行われています。ちなみに、「日本さくら名所100選」とは、公益財団法人日本さくらの会が当時の建設省などの各省庁などの後援により選定したものです。
「郡山城跡」の見どころ
それでは、郡山城の各部について見ていきましょう。郡山城の現存している部分は少ないのですが、近年は「復元」に向けての動きが強まっています。最近では、令和3年に内堀に架けられていた「極楽橋(ごくらくばし)」が再建されました。
郡山城の「追手門」
1983年に市民の手によって復元された「追手門」です。さらに、翌年には「追手東隅櫓」、1987年には「追手向櫓」も市民の寄付などで復元されています。
郡山城の「天守台」
次に天守台、郡山城の天守は確実に存在したものの、「二条城」や「淀城」に移築となったとされているようです。また、現在の「天守台」 は、2017年3月に遠くまで見渡せる「展望台」となりました。
「天守台」からの景色は、なかなかのものです。まず、北のほうに目をやると、肉眼でも当時修復中の「薬師寺東塔」が見えました。ここに天守があった時代には、さらに高い位置からの景色が見えたのでしょうね。なお、現在は「薬師寺東塔」の解体修理は完成しており、すでに「竣工式」が営まれました。
「郡山城跡」の案内
それでは、入城案内やアクセスについて見ていきましょう。
所在地など
所 在 地:奈良県大和郡山市城内町
電 話:0743-53-1151
郡山城へのアクセス
公共交通機関で
近鉄 橿原線 / 近鉄郡山駅から 徒歩約8分( 約0.7km )
JR 大和路線 / 郡山駅から 徒歩約20分( 約1.6km )
車で
西名阪道路 / 郡山ICから 約12分( 約6km )
第二阪奈道路 / 中町ランプから 約10分( 約4〜5km )
京奈和道路 / 木津ICから 約20分( 約10km )
*なお、駐車場は5台(無料)。郡山城の南東部から北に向かう道路を入っていくと駐車場があります。GoogleMapでいうと「さくら名所100選の地」 碑のところを曲がります。
地図
関連リンク
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