郡山城 … 羽柴秀長時代は「 大和・紀伊・和泉 」百万石の地

2021年10月18日

筒井順慶や羽柴秀長の居城となった「 郡山城 」、一時は大和・紀伊・和泉の100万石の中心となりました。天守は残っていませんが、「 追手門 」が復元され、「 天守台 」も整備されており 奈良の町並みを一望することができます。「 続日本100名城 」「 日本さくらの名所100選 」にも選ばれています。

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「 郡山城 」の歴史

「 郡山城 」の成り立ちと筒井順慶の時代

郡山城の成り立ち

郡山城の始まりは、12世紀に築城されたとされる「 雁陣( がんじん )之城 」です。 16世紀には赤沢朝経( あかざわともつね )に攻め込まれるなど戦乱に巻き込まれますが、1559年に松永久秀の侵攻されると 城主の郡山衆は松永久秀につきます。

筒井順慶の入城

「 筒井城の戦い 」により、郡山城は筒井順慶、筒井城は松永久秀が押さえて対峙します。 その後、筒井順慶は松永久秀の攻撃を受けますが、1571年の「 辰市城( たついちじょう )の合戦 」で勝利すると、織田信長の援助を受けながら 地侍を次々に支配下におき大和を統一しました。

「 筒井城 」を本城としていた筒井順慶でしたが、信長の破城令により筒井城は破却となり、大和は郡山城一城のみとなります。 1581年から普請目付を明智光秀として改修が始まり、1583年に「 天守 」が完成しました。

しかし、筒井順慶は 翌1584年に死去、子の筒井定次の代になると「 伊賀上野城 」へ転封となります。

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豊臣時代から徳川時代

羽柴秀長を迎えて

1585年に、羽柴秀長は大和・和泉・紀伊の三国、百万石の太守として入城し、その規模にふさわしい「 城郭 」や「 城下町 」を整備しました。 大坂城の東に位置し 重要な拠点として規模の大きい城郭がつくられただけでなく、秀長は城下町に自治制度を導入するなど 経済も大きく発展させます。

その後、1591年に秀長が死去すると、その養子である羽柴秀保も1594年に亡くなり、大和百万石時代は短期間で終焉することとなりました。 以降は、五奉行の一人でもある増田長盛( ましたながもり )が入城しますが、「 関ヶ原の戦い 」のあとには追放されてしまいます。

郡山城の戦い

「 関ヶ原の戦い 」に勝利した徳川家康は、郡山城に筒井定慶( じょうけい )と筒井順斎の兄弟に入城させました。 筒井兄弟は、「 大坂冬の陣 」で苦しい状況となった豊臣陣営に協力を求められましたが、断り続けます。

すると、1615年4月に約二千の軍を率いた大野治房らが迫ったとき、定慶は敵を三万の大軍と見誤り 郡山城から「 福住中定城( ふくすみなかさだじょう ) 」( 現在の天理市 )へと撤退しました。 郡山城を落とされますが、徳川軍が進軍しているとの報を聞いた豊臣方は 郡山城をあとにして大坂城へと向かいます。

江戸時代中期以降

「 郡山城の戦い 」のあと、水野勝成が入り城郭の修築を行いました。 そののち、松平忠明が入城すると、二の丸屋形の造営や伏見城から鉄門などの移築をすすめました。 本多政勝の時代には、「 城郭 」は完成し、「 城下町 」も最盛期を迎えます。

江戸時代後期には、柳沢吉里( やなぎさわよしさと )が甲斐から移封され 城下町の発展に力を尽くしました。 発展しつつ飢饉による苦境も乗り越えましたが、「 明治維新 」後には破却されてしまいます。

現在の「 郡山城 」

郡山城は明治維新時に廃城となりますが、市民の手により「 追手門( 梅林門 )」が復元されるなど、近年復元への動きが広まっています。 また、2017年には、約500の城の中から「 続日本100名城 」( 財団法人日本城郭協会 )に選ばれました。

1990年に「 日本さくら名所100選 」に選ばれており、桜が満開の時期に「 大和郡山お城まつり 」が行われています。「 日本さくら名所100選 」とは、公益財団法人日本さくらの会 が当時の建設省などの各省庁などの後援により選定したものです。

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「 郡山城 跡 」の見どころ

郡山城の現存している部分は少ないのですが、近年は「 復元 」に向けての動きが強まっています。 令和3年には、内堀に架けられていた「 極楽橋( ごくらくばし )」が再建されました。

「 追手門 」

1983年に市民の手によって復元された「 追手門 」です。 翌年には「 追手東隅櫓 」、1987年には「 追手向櫓 」も市民の寄付などで復元されています。

郡山城 追手門
「 追手門 」

「 天守台 」

郡山城の天守は確実に存在したものの、「 二条城 」や「 淀城 」に移築となったとされているようです。 現在の「 天守台 」は、2017年3月に遠くまで見渡せる「 展望台 」となりました。

郡山城 天守台
「 天守台 」

「 天守台 」からの景色は、なかなかのものです。 北のほうに目をやると、肉眼でも当時修復中の「 薬師寺東塔 」が見えました。 ここに天守があった時代には、さらに高い位置からの景色が見えたのでしょうね。 なお、現在は「 薬師寺東塔 」の解体修理は完成しており、すでに「 竣工式 」が営まれました。

郡山城 展望台
「 天守台 」からの眺望

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「 郡山城 跡 」の案内

所在地など

所在地 : 奈良県大和郡山市城内町
電 話 : 0743-53-1151

アクセス

公共交通機関で

近鉄橿原線 / 近鉄郡山駅から 徒歩約8分( 約0.7km )
JR大和路線 / 郡山駅から 徒歩約20分( 約1.6km )

車で

西名阪道路 / 郡山ICから 約12分( 約6km )
第二阪奈道路 / 中町ランプから 約10分( 約4〜5km )
京奈和道路 / 木津ICから 約20分( 約10km )

* 駐車場は5台( 無料 )。 郡山城の南東部から北に向かう道路を入っていくと 駐車場があります。GoogleMapでいうと「 さくら名所100選の地 」碑 のところを曲がります。

地図

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