坂本城 … 安土城に次ぐ天下第二の城 明智光秀築城
「坂本城」は、「比叡山焼き討ち」後に織田信長が明智光秀につくらせた城です。比叡山に近く、琵琶湖の海上交通の拠点として 重要な地でもありました。また、宣教師ルイス・フロイスの『日本史』には、安土城と並び称されるほどの城であった という記述が残っています。
Contents
「坂本城」について
織田信長の命によって 明智光秀が築いた坂本城は、明智光秀の居城となりますが、その歴史は短いものとなりました。
「坂本城」の歴史
築城までの坂本の地
まずは、坂本とはどのような土地だったのかについて見ていきましょう。琵琶湖は、すでに奈良時代には 海上交通として利用されていました。主に東日本から「平城京」へ集まる貢納物が北陸から琵琶湖岸の「塩津」へ、琵琶湖を渡って「大津」から陸路で運ばれるというものです。
その後、「塩津」から「坂本」へのルートが活発になるのは、「比叡山延暦寺」が勢力を伸ばし全国に荘園をもつようになってからのことでした。そして、全国の比叡山延暦寺の「荘園」から運ばれる年貢の集積地として、「坂本」は賑わいを見せるようになります。
坂本城築城
将軍足利義昭を立てて入京していた織田信長でしたが、しだいに義昭と溝が広がっていきます。1571年には、幕府と関係の深かった「比叡山延暦寺の焼き討ち」を行いました。こののち、信長から滋賀郡の支配を命じられた明智光秀は、1571年12月に琵琶湖に面した場所に「坂本城の築城」を開始すると、1572年中には完成となります。
1976年、同じく琵琶湖に面した地に信長が安土城を築くと、「安土城」と「坂本城」は琵琶湖の海上で行き来できるようになりました。この頃は大規模な「茶会」が開かれるなど、津田宗及や ルイス・フロイスなどの訪問の記録が残っています。
とくにルイス・フロイスの『日本史』では、「日本人にとって豪壮華麗なもので、信長が安土山に建てたものにつぎ、この明智の城ほど有名なものは 天下にないほどであった」と坂本城を評しています。
焼却と再建、その後
良好に思われた織田信長と明智光秀の関係でしたが、1582年6月に光秀は「本能寺の変」にて信長に攻め入り、信長は炎の中で自害します。しかし、そのわずか11日後、光秀は「山崎の戦い」で羽柴秀吉らの軍に敗れると、安土城にいた明智秀満は 敗戦を知ると坂本城へ向かいました。そして、ついに秀満は籠城も諦めて、坂本城に火を放ち 光秀妻子とともに自害することとなります。
そののち、秀吉の命により丹羽長秀が坂本城を再建し、「賤ヶ岳の戦い」では軍事拠点として使われました。その後、杉原家次から浅野長政を城主として迎えますが、坂本城は1586年に廃城となり大部分が新たに築城された「大津城」へと移されます。
ぶらり明智光秀の城&史跡めぐり(ご当地戦国武将・旅行ガイドブック)
「坂本城」の縄張りや構造など
坂本城の「縄張り」や「構造」は長らく不明となっており、現在も遺構はほとんど見ることはできません。しかし、1979年の調査から少しずつ明らかになってきており、1994年の「琵琶湖の大渇水」で水位が下がった湖面から「石垣」が表れました。
縄張り
以下の写真の「縄張り復元図」から、琵琶湖に面した「本丸」があり、その西に「二ノ丸」、さらに西側を囲むように「三ノ丸」があったとされています。なお、現在は、この全ての土地が一般に利用されており、立ち入ることはできません。
坂本城址公園
そして、「坂本城址公園」は、上記写真の「縄張り復元図」によると、「本丸」のやや南です。ここには、「明智光秀像」のほか、坂本城の歴史を知る「碑」や「案内板」があります。また、日曜日などには「坂本城を考える会」の方々が無料で坂本城の歴史をお話してくれます。
坂本城「旧城門」
次に、数少ない坂本城の遺構のひとつである「旧城門」です。なお、「聖衆来迎寺(しょうじゅらいこうじ)」に移築されており、現在もそのまま使われています。坂本城の資材の多くは「大津城」に移されたと言われており、さらに大津城廃城の際には「膳所城」や「彦根城」に移されたと伝わります。
そして「聖衆来迎寺」表門には、少し見にくいのですが「明智光秀坂本舊城門」と書かれているのがわかります。なお、「舊」という字は「旧」の旧字体です。
「坂本城」の案内
それでは、坂本城付近のようすやアクセスについて見ていきましょう。
坂本城址公園
当時、坂本城があったとされるあたりでは、「坂本城址公園」で 資料や案内板を見ることができます。なお、駐車場には普通車が10台ほど止められるようになっており、入場は無料です。
アクセス
〒520-0105 滋賀県大津市下阪本3丁目1(坂本城址公園)
公共交通機関で
JR湖西線 / 比叡山坂本駅から 徒歩約18分
京阪石山坂本線 / 松ノ馬場駅から 徒歩約14分
比叡山坂本ケーブル / ケーブル坂本駅から 徒歩30分
車で
名神高速道路「京都東IC」経由 西大津バイパス「下阪本ランプ」から 約11分
地図
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