大阪城 / 大坂城 … 秀吉の豪華絢爛の城から二度の再建

2022年9月14日

大阪城

安土桃山時代に豊臣秀吉によって築城された豪華絢爛の「大坂城」は、江戸時代に大幅に修築された歴史があります。その後、江戸中期に落雷により天守閣を焼失、昭和になって再建された「大阪城 天守閣」は復興天守です。現在は、博物館「大阪城天守閣」となっています。

冬から春にかけては「梅」や「桜」が見頃となり、「大阪城ホール」「大阪城音楽堂」などのイベントでの利用でも賑わう大阪城、ここではその歴史と文化財を中心に見ていきましょう。

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「 大阪城 」の歴史

「大城」とも「大城」とも書かれていることがありますが、時代によって移り変わってきたものです。そのため、ここでは江戸時代までは「大坂城」、明治以降は「大阪城」と記載します。ここからは、上町台地の北端に位置する大阪城 の歴史を見ていきましょう。

石山本願寺時代

「 石山本願寺 」の創建

1496年に、本願寺8世法主蓮如が 山科本願寺の別院として「大坂御坊」を建立しました。その後、「山科本願寺」(京都市山科区)が戦乱の中で焼き討ちに合うと、10世証如は大坂御坊を本願寺として「石山本願寺」となります。

堀や塀、土塁などで武装を固めて難攻不落の「城砦(じょうさい)」となると、11世顕如の時代には寺内町も発展し本願寺の隆盛期を迎えます。

「 石山合戦 」

1568年に織田信長が上洛すると、すぐに本願寺に圧力がかかりました。さらに、1570年からは戦争状態となり、断続的に11年間戦乱は続きます。そして、ついに1580年、織田信長が本願寺を退去させますが、退去直後に寺内町も含めて全て炎上してしまいました。

なお、『信長記』によると、冒頭に「そもそも大坂はおよそ日本一の境地なり」とあるように、大坂が立地として優れていることを高く評価していました。

豊臣秀吉の大坂城

豪華絢爛の城と城下町

信長の死の翌年の1583年、豊臣秀吉は石山本願寺跡に「大坂城」の築城を開始します。なお、天にそびえる五層の天守には各所に黄金を散りばめ、内部にも金銀をふんだんに使った装飾をするなど富を誇示するものでした。

また、城づくりと同時に町づくりも行われ、政治、経済、軍事、文化を含めた中心都市となる城下町が大坂に完成します。

大坂の陣

1588年に秀吉が亡くなり、1600年に「関ヶ原の戦い」が起こると徳川の世となりました。ところが、「方広寺鐘銘事件」により豊臣と徳川が険悪になると、1614年に「大坂冬の陣」が起こります。徳川の大軍勢から守りきったものの、講和条件として二の丸と三の丸の破却、外堀の埋め立てなどを余儀なくされます。

翌年の「大阪夏の陣」では、内堀のみと手薄になった城では籠城ができず町を巻き込んでの戦いとなりました。二度の戦いを通じて真田信繁(幸村)の活躍などで善戦しますが、「大坂城」は落城、豊臣秀頼と母の淀君は発見されて自刃し、豊臣家は滅亡します。

江戸時代の大坂城

徳川家による再築

1620年になると、徳川秀忠によって「大坂城」の再築が始まりました。豊臣大坂城の原型をとどめない形であることから、実質的には修築ではなく新築となります。

普請総奉行の藤堂高虎に「石垣を2倍に、堀の深さも2倍に」と指示したとされますが、豊臣大坂城をすっぽり覆うように盛り土をするような形で再築がすすみました。なお、5層6階の天守は高さ58.5mに及んだということです。

落雷と修復、落城へ

1665年に天守北側の鯱への落雷により39年目にして「大天守」は焼失、1783年には「大手多聞櫓」も落雷で焼失してしまいます。しかし、のちの1843年、幕府は町人から資金を集めて、天守を除く大坂城内の全ての建物の修復工事に着手しました。

幕末になると、徳川慶喜が「大坂城」や「二条城」で諸外国との会見などを行います。そして、1868年に「鳥羽・伏見の戦い」で幕府軍が敗れて慶喜は江戸へ戻ると、混乱の中で出火し大坂城内の多くの建物が焼失しました。

近現代の 大阪城

明治から昭和の天守閣再建

明治時代になると、大阪城跡地は陸軍の軍用地となり、敷地内には兵器工場が建設されます。一方で、1928年に天守閣復興が提案されると順調に資金は集まり、1931年には「3代目の天守閣」が完成しました。

平成の大改修

太平洋戦争中の大阪大空襲では、「二番櫓」「三番櫓」「坤櫓(ひつじさるやぐら)」「伏見櫓」「京橋口多聞櫓」を失うこととなります。終戦後は、1948年には占領軍の接収が解除され、建物の修復や公園の整備が行われました。

その後、1995年から1997年には天守の平成の大改修のほか、「桜門」や「石垣」「東外堀」の改修もすすめられ現在に至っています。さらに、この改修により、身体障害者や高齢者向けの「エレベーター」が整備されました。

「 大阪城 」の文化財とその特徴

大阪城の見どころは、やはり「天守閣」です。しかし、櫓や門、巨石など大阪城ならではの特徴がありますよ。

天守

豊臣大坂城天守

5重6階地下2階であり、各所に散りばめられた金を目立たせるために外観は黒漆塗であったと考えられています。また、5階には「黄金の茶室」があったと言われています。

徳川大坂城天守

5重5階地下1階、壁は白漆喰塗籠、屋根は最上階のみ銅葺で その他は瓦葺と言われています。さらに、小天守台があったとされていますが、小天守そのものは造られませんでした。

昭和復興天守

現在の天守閣は5層8階で、高さは54.8mです。なお、博物館「大阪城天守閣」として、内部には文化財や資料が展示されています。

大阪城 天守閣
「 大阪城天守閣 」

大阪城には多くの重要文化財があり、櫓としては「多聞櫓」「千貫櫓」「乾櫓」「一番櫓」「六番櫓」があります。

「 多聞櫓 」

天守閣南西から外堀を渡ったところにあるのが大手口枡形の「多聞櫓」です。なお、京橋口、玉造口、桜門、極楽橋などにも多聞櫓がありましたが、現存するのが大手口枡形の「多聞櫓」のみとなっています。

ちなみに、松永久秀が大和国の多聞城を築いた際に、門の上に櫓をつくったことから「多聞櫓」と言われるようになったということです。また、門の上部は「渡櫓」と呼ばれています。

大阪城 多聞櫓
「 多聞櫓 」

「 千貫櫓 」

天守閣の南西から大手門に向かって外堀を渡る際に、左手に「千貫櫓」が見えてきます。1620年に 小堀遠州の設計によって築かれたものです。

本願寺時代、攻めあぐねた織田信長勢が「千貫文払ってでも手に入れたい」と語ったことから「千貫櫓」と呼ばれるようになったと言われています。

大阪城 千貫櫓
「 千貫櫓 」

大阪城には、重要文化財の門が「大手門」と「桜門」の二つがあります。

「 大手門 」

1628年の創建の「大手門」は、古くは「追手門」と書かれることもありました。高さのある門ですが、屋根が比較的簡易なつくりである「高麗門様式」となっています。なお、「高麗門様式」は慶長・文禄の役以降のものであり、屋根が小さいことで守備側からの死角を減らす目的があったということです。

大阪城 大手門
「 大手門 」

「 桜門 」

1887年に再建された「桜門」も高麗門様式であり、重要文化財となっています。また、門から中を見ると、天守閣が正面に見えます。

大阪城 桜門
「 桜門 」

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その他

桜門枡形の巨石

桜門をくぐった正面には、枡形といわれる区画があります。なお、ここには本丸の正面を守るための巨石が配置されており、大阪城には全国から競って運ばれてきた巨石が数多く残されています。

【 大阪城の主な巨石( 名称 / 推定重量 / 担当大名 )】
・桜門枡形の「 蛸石 」    推定130t 岡山藩 池田忠雄
・京橋門枡形「 肥後石 」   推定120t 岡山藩 池田忠雄
・桜門枡形の「 振袖石 」   推定120t 岡山藩 池田忠雄
・大手門桝形「 大手見付石 」 推定108t 熊本藩 加藤忠広
・大手門桝形「 大手二番石 」 推定 85t 熊本藩 加藤忠広

桜門枡形の巨石

刻印石広場

江戸時代に初期の修築の際、大阪城の石垣には全国の大名が持ち込んだ石が使用されました。そして、その石には、家紋などの刻印が残っています。

天守閣北側の「刻印石広場」には、市内各所で発見された刻印のある石が集められています。また、ここには刻印の種類と説明が書かれた碑もあるので、どの印がどの大名のものか調べることができますよ。

刻印石広場
「 刻印石広場 」

秀頼・淀殿ら自刃の地の碑

1615年の「大阪夏の陣」において、豊臣秀頼と母の淀君が徳川軍に追い詰められ、山里丸の櫓にひそんで自刃したと言われています。

秀頼・淀殿ら自刃の地の碑
「 秀頼・淀君ら自刃の地 」

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「 大阪城 」の案内

「大阪城公園」には、とくに入城料などはありません。なお、博物館「大阪城天守閣」となっている「天守閣」に入る場合に料金が必要になります。

「 大阪城 」の入館案内

休館日と開館時間

休 館 日 :12/28 – 1/1
開館時間:9:00 – 17:00( 入場は 16:30まで )

*桜シーズン、ゴールデンウィーク、夏休みは開館時間の延長あり。

利用料金

大人600円、中学生以下無料(西の丸庭園は別途大人200円が必要)

「 大阪城 」へのアクセス

〒540-0002 大阪市中央区大阪城1-1 TEL:06-6941-3044

公共交通機関で ( 天守閣まで )

JR環状線 / 大阪城公園駅 および 森ノ宮駅 徒歩約18分
JR東西線 / 大阪城北詰駅 徒歩約21分
OsakaMetro 中央線および鶴見緑地線 / 森ノ宮駅 徒歩約18分
OsakaMetro 中央線および谷町線 / 谷町四丁目駅 徒歩約18分
京阪本線 / 天満橋駅 徒歩約19分

車で

阪神高速道路 13号東大阪線 / 法円坂出口
阪神高速道路 13号東大阪線 / 森之宮出口

地図

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