こども「学問のすすめ」… だからぼくは勉強する

2023年12月30日

『学問のすすめ』を子供向けに書いたのが 『こども「学問のすすめ」』です。「どうして勉強するのか」が書かれており、子供たちが前向きに勉強できるきっかけとなればいいですね。また「天は人の上に…」で始まる冒頭が有名ですが、続けて読むと本当に福沢諭吉が言いたかったことがわかります。

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Contents

『学問のすすめ』について

『学問のすすめ』の概要

タイトルの「学問のすすめ」は、「学問のすゝめ」と書かれることも多くなっています。なお、初編は1872年、最終の十七編は1876年に書かれたものです。

中津藩(大分県中津市)出身の福沢諭吉さんが、地元に学校を開く際に「なぜ学問をすべきなのか」を伝えるために書いた文とされています。これが地元の人だけに見せるのではもったいないということで広まり、続編が書かれたということです。

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『学問のすすめ』の内容と誤解

内容について

冒頭は、前項の通り開校に向けて「なぜ学問すべきか」について書いたものです。そして、その続きには、学問を身につけることで 独立した人間になること、独立した国としての日本を支える人になること などが書かれています。これには、封建社会が続いていた日本が、近代国家として世界の国々と渡り合えるようにという背景もありました。

さらに、後半は「どう生きるか」ということにも及び、 最終編では「人望論」 が書かれています。例えば、学問が身についても、難しい顔をしていてはダメで、周りの人が快く耳を傾けるような所作も必要なことだとしています。

誤解

まず、『学問のすすめ』の冒頭は、以下で始まります。

「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」と言えり。

天は人間はみな平等につくったという意味で、江戸時代の身分制度から開放されて平等な世の中になっていることを表しています。この部分は人ご存知の方も多いかもしれませんが、この冒頭部分が『学問のすすめ』を代表する言葉と考えると「誤解」につながってしまいます。なぜなら、以下のように続くからです。

されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤(きせん)上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資(と)り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥(どろ)との相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。

真意は?

つまり、天は平等とはいうが、能力や貧富、家柄などいろいろな面で差があり、「雲と泥」ほども違う と言っているわけです。

『実語教(じつごきょう)』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は 学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。 また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役(りきえき)はやすし。ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。

*実語教…平安時代から明治時代初期にかけて使われた教科書のこと。

さらに、学んで智を得て責任ある仕事ができる人を目指そう とつながります。制度上、身分は平等となったものの、高い目標を持って学問に力を注ぎ人に頼られるほどの人物になる人と そうでない人がいるよということです。「天は人の上に …」のあとこそが肝心だったのですね。

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福澤諭吉さんについて

福澤諭吉さんは、「一万円札」や「慶應義塾大学の創始者」などで有名な方です。また、明朗快活な方であったとも言われています。さらに詳しく福澤諭吉さんの生涯について見ていきましょう。

学問のすすめ

生誕から「適塾」時代まで

1835年、中津藩(大分県中津市)の下級藩士であった父のもとに生まれました。元気に少年時代を過ごしながら、学問では「漢学」に没頭し先輩を凌ぐほどでした。さらに、19歳になると「蘭学」を学ぶために長崎へと向かい、「オランダ語」や当時需要の高まっていた「砲術」などを学びます。また、村田蔵六(のちの大村益次郎)らの世話役をしたこともあったようです。

1855年に大坂に出ると、緒方洪庵の「適塾」で学ぶ ことになります。そして、翌年は兄の死より家督を次ぐこととなるも大坂遊学を継続、その翌年の1857年には最年少の塾頭となりました。そこでは、オランダ語の原書を読みながら、「医学」や「化学」「物理学」などを学んだということです。

参考記事 : 適塾/適々斎塾…福沢諭吉らを生んだ緒方洪庵の 蘭学私塾

江戸へ、世界へ

1858年、中津藩から江戸へ出府を命じられて江戸に出ると、中津藩邸で蘭学を指導する傍ら、住み込んでいた奥平家屋敷でも蘭学を教えました。これが慶應義塾のもととなったのです。しかし、世界はオランダよりもイギリスやアメリカが力を持っていることを痛感すると、英学や英語の習得に励みます。

また、1859年には、勝海舟や中浜万次郎(ジョン万次郎)らとともに咸臨丸でサンフランシスコに到着。そして、3週間ほどの滞在で、さまざまな文化や学問に触れて帰ることとなります。次いで1861年、今度は「文久遣欧使節」の一員としてパリ、ロンドン、ユトレヒト(オランダ)など6ヶ国を歴訪し、病院や銀行、郵便法などのあり方を学びました。

明治維新

1867年に朝廷が「王政復古を宣言」。しかし、諭吉は新政府への出仕を辞退し平民となると、翌1868年には蘭学塾を「慶應義塾」と名付けて 教育活動に専念しました。そして、1872年に『学問のすすめ』を著すことになります。以降は、慶應義塾を軌道に乗せる一方で、さまざまな大学や学校の開校に力を尽くしました。

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『こども「学問のすすめ」』について

『こども「学問のすすめ」』は、齋藤孝さんが子供向けの翻訳に解説を添えたものになっています。なお、勉強に対して、さほど好き嫌いを感じていない小学校低学年から読むのもよさそうです。

内容と構成

章立てなど

まず、本書のうち19の部分が4つの章立ての中で紹介されています。また、8つのコラムは福澤諭吉さんにまつわる話です。

一章 どうして勉強するんだろう
二章 あなたの夢はなんですか
三章 まわりの人や、お金とのつきあい方
四章 日本で生きるってどういうことだろう

ページ構成

まず、右ページに「もとの文」、左ページには 小学生でもわかりやすい「現代語訳」、次ページ以降に解説やわかりやす事例などが書かれています。なお、親しみやすいデザインやカラフルな色合いから、堅苦しい印象はありません。

福沢諭吉(コミック版 世界の伝記)

『こども「学問のすすめ」』を一部紹介

最後に、実際に書かれている内容の一部を紹介します。なお、意味や解説のデザインやレイアウトは以下の写真の通りです。

学問のすすめ

「賢人と愚人の別は、学ぶと学ばざるとによりて出来るものなり」

訳 :賢い人間とそうでない人の差は、学ぶか学ばないかで決まるんだよ。
解説:勉強するのは、自分自身のためだけではなく、世の中のためでもあること。

「もっぱら勤むべきは、人間普通日用に近き実学なり」

訳 :みんなが一生懸命にやるべきは、ふつうの生活に役に立つ学問です。
解説:理科も算数も国語も社会も、自分の力で生きるために必要な実学のこと。

「独立の気力なき者は、国を思ふこと深切ならず」

訳 :独立する心がない人は、国を思う気持ちもあさいものです。
解説:日本人一人ひとりが独立心を持つことで、日本が外国と対等にやりあっていける。

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関連リンク

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現代語訳 学問のすすめ(ちくま新書)/齋藤孝 翻訳
まんがでわかる福沢諭吉『学問のすすめ』(Business ComicSeries)/齋藤孝 翻訳
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